消費的人生

2011年5月17日 日常
こういう風に生きたいという憧れと、
こういう風になら生きられるという実態は、
やはり違うものなんだなと気づく。

「生」とか「死」とかを、意識下でも、無意識下でも
強烈に意識せざるを得ない事態が、地震が起こって、
自分の人生とか、生き方について、頭の片隅でずっと
考え続けているような感覚がある。

答えはないし、日々のなかにかき消されもするけれど。

それで、気付いたのは、私はつくづく消費型だということ。
いつも物事には終わりがあって、期限があって、
そこに向けて、ただただ急き立てられて、時間を潰している。
潰すことを目的としているかのようというか、
人生ひまつぶし、とも言える。

仕事に没頭したのも、締め切り商売だったからじゃないか
とさえ思う。私は一度も(いや正確には一度だけあるのでめったに)、
納期を破ったことがなくて、何度も危ない綱をわたりながらも、
何とか締め切りまでに仕事をひたすらやっていた。

締め切りがなかったら、あんなに没頭できただろうか?

1日の中で何度も時間を気にし、何時までに何をするとか、
事細かに考えてしまう。1分の価値を知っていると言えばそう
だが、それは充実というよりは、消費しているような気分に近い。

でも、私が憧れるのは、もっと毎日を丁寧に生きるということだ。
消費ではなく、駆け抜けるでもなく。

たとえば、日々の小さなことを、心の機微を、逃さず綴ることや、
たとえば、昨日つくった料理のレシピをゆっくり反芻することや、
毎日、少しずつ変わっていくあじさいの色を知ること、とか。

私には出来ない。
でもやりたい。

結婚して、少しずつ変わりつつある、私の毎日。
たぶん、人は変われないというのは言葉の呪縛だから、
徐々に変わっていきたいなと思っている。

残りの人生、(とか考えるところが消費的だけれども)、
好きなようにしないともったいないから。

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