今日は、小川洋子についての書評を読みあさった。 果たして、卒論書けるのか。不安だ。

書評の対談の中で、こんな文章があった。

「リアリティーがないとさっきいわれたけれども、この小説の中で、病室はリアリティーがあるのかもしれない。しかし、母親とか医者とか、外に出て行くと全くリアリティーが出せなくなってしまう。それがこの小説の世界を狭くしちゃうんですね」

ふむ。リアリティーが出せないんじゃなくて、わざと出さないようにしているのではないのかしらん。

この小説では、まっとうな母親らしい母親は、登場しない。
医者だってそうだ。一般的にいうところの医者らしい医者ではない。

しかし、現代において、母親らしい母親にどれだけリアリティーを感じるだろうか。

病室という無機的なものに、安らぎを感じる感覚。例えば、肉体的な接触よりも、メールの文字にぬくもりを感じる感覚。

そういった、感覚は、確実に存在すると思う。
前の日記で書いた、電話のみのカップルみたいに。
だから、決して小川洋子の作品は、作品の中だけで完結しているわけではなく、現代社会につながっていると、私は思うのだが。

ふむむ。対談って、どうしてみんな同じ意見に流れるんだろう。エライ人には逆らえないのかしら。 まぁ、いいけど。

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