ややこしい話。

2002年5月22日
今日は久々に大学に行った。
日本文学科で専攻は現代文学だ。

なんか、今日はカタイ話を書きます。苦手な人は、とばしてちょ。

それでは、私の卒論のテーマへ。
小川洋子研究をする予定☆
テーマは「境界への懐疑」。
小川洋子さんの作品を読んだ時、自分の中に無意識に存在していたあらゆる境界が揺り動かされる感じがした。
例えば、「常識」と「非常識」、「現実」と「幻想」、「生」と「死」の境界線。
小川洋子さんの文学の世界だけでなく、現代社会においても、あらゆる境界線があいまいになってきている気がする。(境界線を引くことが正しいかどうかは別としてね)

そして、小川洋子さんが発信しているメッセージから読み取れる、現代人が抱える心の闇を(精神病理をからめて)追求していくつもり。

卒論のテーマとは関係ないけど、「境界線を引く」っていう行為自体間違ってるんだよね、たぶん。

例えば「正義」と「悪」の問題。この問題も単純な二極対立では存在しない。
貿易センタービルのテロ事件もそう。
過激派(テロを起こした人々)は自分たちの「正義」のために戦っていて。その「正義」の中に確実に「悪」が存在しているのと同じように、アメリカの「正義」の中にも、もちろん「悪」は存在している。
「正義」の中に「悪」は内包されうるし、「悪」のなかにも「正義」は内包されうる。

だからパツンと分けて考えられるものじゃない。ヒーローものみたいに。

「正義」という言葉に踊らされて、この「悪」の部分を見つめない限り戦争はなくならない、、、と思う。

昔、『「正義」のもとで行われるものほど恐ろしいものは無い』(悪いことをしようと思って実行することはたかがしれている)みたいな意味の言葉を見て、ほんとにそうだなと思った。

かなり、ややこしい話になってしまった。ごめんなさい。もっと分かりやすく語れるように修行します(笑い)

★★遅ればせながら、よしーさん、お気にありがとうございます。
★★新宿ネオン管さん、libertyさんリンクありがとうございます。
三人に秘密あり☆☆

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